果てしなきスカーレット:細田守監督、単独インタビュー

果てしなきスカーレット:細田守監督、単独インタビュー

©Photo by Ayami Kusumi

あらすじ:「竜とそばかすの姫」「未来のミライ」などで国内外から高く評価されてきたアニメーション映画監督・細田守監督が手がける、オリジナルの長編アニメーション。復讐にとらわれて死者の国をさまよう王女が、現代日本からやってきた看護師の青年と出会い、ともに旅をする中で変化していく姿を描き、「生きるとは何か」を問いかける。

父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。

声の出演は、主人公スカーレット役を芦田愛菜、聖役を岡田将生が担当。スカーレットの宿敵で冷酷非道なクローディアス役を、細田作品に4度目の参加となる役所広司が演じる。そのほか、市村正親、吉田鋼太郎、斉藤由貴、松重豊、山路和弘、柄本時生、青木崇高、染谷将太、白山乃愛、白石加代子ら豪華キャストが顔をそろえる。

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2025年製作/111分/G/日本
配給:東宝、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
劇場公開日:2025年11月21日

スタッフ・声優・キャスト

監督 : 細田守
原作 : 細田守
脚本 : 細田守
製作指揮 : 澤桂一
製作 : 桑原勇蔵   門屋大輔   菊池剛   市川南   齋藤優一郎
製作統括 : 江成真二   工藤大丈   上田太地   小池由紀子
製作総指揮 : 飯沼伸之
プロデューサー : 齋藤優一郎   谷生俊美   高橋望
Co-プロデューサー : 櫛山慶   佐原沙知   荻原知子 作画監督 山下高明
キャラクターデザイン : ジン・キム   上杉忠弘
CGディレクター : 堀部亮   下澤洋平   川村泰
美術監督 : 池信孝   大久保錦一   瀧野薫
色彩設計 : 三笠修
撮影監督 : 斉藤亜規子
プロダクションデザイン : 上條安里 衣装 伊賀大介
編集 : 西山茂 音楽 岩崎太整
エンディングテーマ : 芦田愛菜
リレコーディングミキサー : 佐藤宏明
音響効果 : 小林孝輔
ミュージックスーパーバイザー : 千陽崇之
キャスティングディレクター : 増田悟司   今西栄介
CGプロデューサー : 豊嶋勇作
CG制作 :デジタル・フロンティア
企画 : スタジオ地図
制作 : スタジオ地図

キャスト

  • スカーレット : 芦田愛菜
  • 聖 : 岡田将生
  • ポローニアス : 山路和弘
  • レアティーズ : 柄本時生
  • ローゼンクランツ : 青木崇高
  • ギルデンスターン : 染谷将太
  • 少女 : 白山乃愛
  • 老婆 : 白石加代子
  • ヴォルティマンド : 吉田鋼太郎
  • ガートルード : 斉藤由貴
  • コーネリウス : 松重豊
  • アムレット: 市村正親
  • クローディアス: 役所広司
  • 墓掘り人 : 宮野真守
  • 墓掘り人 : 津田健次郎
  • 年寄りの長 :羽佐間道夫
  • 宿の主人:古川登志夫

果てしなきスカーレット

©東宝、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

単独インタビュー:細田守

Q : 本作は復讐劇を題材にされていて、私もニューヨークに住んでいると、やっぱり911の同時多発テロで、いわゆるウサーマ・ビン・ラーディンによる意図とした復讐劇と、こちらアメリカが攻撃を受けたことによるアメリカ側の報復みたいなものがあって、復讐からは何も生まれないことをわかっていながらも、身内が殺されたら、やはり復讐せずに生きることができるのか?ということが、今作の議題でもあります。監督自身の中でも、戦争を終えるためには、この議題は永遠の課題と言えるものなんでしょうか?

細田守 :そうですね、これは出来事が起こるたび、それは 9・11同時多発テロでも良いですし、ウクライナ戦争やイスラエルの攻撃でも良いですけれども、これらを間近にニュース映像として見ていると、絶対にやられた方は許さないだろうと思うことは、もう本当に気持ちが痛いほど伝わりますよね。 絶対に報復せずには終えることはできないだろう、でもそれはもう戦争で報復の連鎖をするからやめなさいとも、絶対に言えないだろうとも思うわけです。

自分に置き換えてもそうだと思うんです。 しかし、そうやってこう続いていくと、頭に血がのぼったものが、冷めてみると、やっぱりすごく虚しさというか、復讐心からくる虚しさとか、人生の時間を無駄に使ってしまったことへの喪失感というか、やはり失ってしまったものを多く感じるんじゃないかなと思っていた時に、そういう中で主人公がこういう課題を与えられたら、どういう風に選ぶだろうということを、スカーレットという王女を基に、考えてみたっていうのがこの映画ですね。

Q : 細田監督は、これまでその2つの世界観を描くことがよくあるんですけど、例えば、映画『竜とそばかすの姫』では、インターネットの仮想世界と現代と『未来のミライ』では、その現代と時空を超えた旅をして描いてきたんですけど、今作はその中世と現代、もちろん死の世界もあるんですけど、今回の設定に関しては、そのダンテの「神曲」がある程度なんか着想を得たきっかけになったそうなんですけど、実際、そのダンテの「神曲」のどういった部分に共鳴されて、今回のその制作に反映されていたんでしょうか?

細田守 : もともと僕がダンテの「神曲」を読んだのは、高校生の受験期の時に読んで、受験期だっていうのに何かこんな難しい本を読んで、一種の逃避だったかもしれません。(苦笑) それで読みながら、当時からすごい面白いと思ってたんですよ。

それは要するに、ダンテが生きながらにして地獄の世界に行くということがまず面白いし、生きながら死者の国へ行くと、歴史上の有名人に次々と会うわけですよね。 そこで、ダンテはもういちいちミーハーな感じで、「あなたは何とかですね?」とか言ってやっていく姿、そういう様子を読んですごく面白いなと思って、 どういうところが面白いかと言うと、これは一種のタイムリープじゃないかと思ったわけですよ。

つまり、その死者の国というのは「神曲」によれば、今まで世の中で死んだ人が全部集ってるわけです。 要するに、色々な時代の色々な人々が一堂に会していると、 そこでもしも何か話をしているとすれば、一体どんな話をしてるんだろう。 そして時空を超えた時間で、僕ら現世を生きてると、今の時間の人にしか出会えないんですけど、死んだ世界だといろんな時間の世界の人に会うとすると、そこから何か知見があるんじゃないかという風に思うと、すごい面白いんじゃないかと思ったわけです。これは、 別に未来の人ばかりじゃなくて、過去の人からでも、例えばローマの時代の人からの知見とか、 ギリシャ哲学者の知見とか、ただ「神曲」はキリスト教徒だけが天国へ行けるとされているんで、キリスト教発祥以前の人々は、そこは苦しい言い訳をして、その人たちは天国へ行けないみたいなこと言ってますけどね。

まあ、そういう細かいことは置いといて、 でもやっぱりそういう面白さを感じて、今作にもすごく反映されていると思います。 やっぱりそういう中で、復讐しかない人が、全然違う時間(時代)の人に出会って、どういう風にその変わっていくのか、 そして今回は「復讐と許し」というのがテーマですけども、その「許し」という風なことについて、どういう風に受け止めていくのかを考えてみたいと思ったんですよね。

Q : 今作で、まず驚いたのは芦田愛菜さんの声優としての演技の素晴らしさというか、もともと実写映画でも素晴らしい演技しているんですけど、 NHKの彼女のナレーションとか見ても、彼女のその着いた声というのは素晴らしいものがあると思ったんです。実際に本作では、彼女の声がほとんど中心にあるので、彼女のどういった要素が今作にはもう欠かせないと判断されて、キャスティングする経緯に至ったんでしょうか?

細田守 :今作は本当に芦田さんが中心だと思っています。あのスカーレット役ということはそう(中心)ですし、それだけじゃなくて、劇中の歌も歌っていますし、そのうえエンディングテーマも歌ってます。なかなかあんまり、一人の女優さんが主人公だからと言って、そこまで多くの映画の要素を占めることは、実はあんまりないかもしれません。それとやはりキャスティングする時にあったのは、今回のスカーレットという16世紀の王女の役という非常に特別な役ですから、普通に若い日本の女優さんがやったとしたら、何か物足りないだろうと(事前に)思ったんですよ。 いわゆるリアルな若い女性の声というだけでは、全然、物足りないだろうと。

要は16世紀の王女様は、小さい時から英才教育を受けてきている王女様で、年齢的には普通の19歳なんですけど、精神年齢は普通の19歳とは全然違うだろうと思ったんです。 そんな中で、そういうことを表現できる人というのは、誰かなと思った時に、そういう姫的で、特別な人を演じれるのは誰かなと思った時に、やっぱり芦田さんでした。彼女は撮影当時は19歳だったんですけども、ただの19歳では全くないだろうと、19歳だけど、もっと普通の19歳よりも何倍も多くの体験や色々な訓練や教育を受けてきている人だろうと、 そういう人にこのスカーレットの役を与えることによって、初めて精神的な年齢が釣り合うんじゃないかという風に思ったんですよね。

果てしなきスカーレット©Photo by Ayami Kusumi

 

Q :このスカーレットという役は、中世から来てる役柄ではあるんですけど、やはり中世ですと、ジャンヌ・ダルクとか、エリザベス1世など、そういった女性が歴史上では活躍されているんですけど、細田さん自身はこのスカーレットを手掛けられる際に、何か意識したモデルとか、どういった人物像が念頭にあったのか教えて頂けますか?

細田守 : まさにおっしゃる通り、 やっぱりスカーレットのモデルの一人は、やっぱり細木さんのおっしゃる通り、エリザベス1世なんですよ。実は最初にハムレットが16世紀の王子様であるため、最初デンマークについて調べてたんですけどね。 なかなか、デンマークの16世紀のことがよくわからないんですよね。

日本でも研究者がなかなかいなくて、わからなかったんです。 でもその代わりに、同時代の英国のことは、よくわかったんです。 研究者も多いですし、そもそも原作者のシェイクスピアも、デンマークには一回も行ったことがないのに「ハムレット」を書いた。 だから要するに、彼はその当時の英国を想定して「ハムレット」を書かれたんじゃないかという仮説を立てた時に、その当時の君主というのがエリザベス1世ですから、そしてエリザベス1世というのは、ヘンリ8世の娘であって、そのヘンリー8世から非常に紆余曲折があって、エリザベス1世が君主の座に就いてますよね。

実際にエリザベス1世の母親アン・ブーリンというのは殺されてます。 そういった意味でも様々な状況が、すごく近いなという風に思って、エリザベス1世のモデルの1人にしたっていうのは、確かにその通りですよね。

だからそういった意味では、歴史的にこのハムレットという存在と、まぁテューダー朝のエリザベス朝(イングランド王国のテューダー朝のうち、特にエリザベス1世の治世期間(1558年 – 1603年)を指す)の影響を受け、その中で描かれてたハムレットや、今回の主人公スカーレットを描くにあたって調べるというのは、非常に有意義な時間で、符合することが多かったんです。

そういった意味でも、やっぱりエリザベス1世はモデルの一人ですね。 他にも幾人かモデルいるんですよ、ジャンヌ・ダルクはそんなに意識してないです。 もうちょっと、(今作よりも)200年ぐらいさらに前の話ですし、それにジャンヌ・ダルクは村の少女ですからね、王女というよりは。でも芦田さんが役作りの時にジャンヌ・ダルクもちょっと調べたと言っていたんで、ちょっと声の演技にはそういう部分も入ってるのかもしれません、特に戦士的な部分では。

Q : 映画内の冒頭で、いわゆる死者の国の老婆が、「ここでは過去と未来も溶け合っている」という台詞がありますが、今を生きることは、やっぱり過去からある程度知識を得たり、何か学ぶことによって、現在の生き方に反映したりすることもあるし、そのうえ、現在でも今を生きながらも SDGs などで、未来を見据えていろいろ展開していく生き方というのもあって、今を生きるってことは必ず過去と未来が繋がっていて、いわゆる切り離せないものだと僕は思ってるんですけど、監督はこの台詞に関してどういった意図があって、その言葉を台詞として書いたのでしょうか?この死者の国でも、その台詞は重要な意味を持っていると思うんですよね。

細田守:僕らこういう話を作るにあたって、僕らは実際に現世を生きているけれど、私の中で命について何にも知らないに等しいんじゃないかという予想が立つわけです。要するに死ぬということが、まず生きてる人にとってはわからないじゃないですか、死んだことがないわけだから。

だから、そういった意味で生と死の関係性もわかんないし、ただ予測として、こういうものではないかと想像ができたとしても、実際にはもっとこう超越した存在からすれば、人間というのは本当に何にも分かってない愚かな存在だなって思うわけです。そんな嘲笑されるぐらい何もわからないんじゃないか、そのぐらい魂の世界というか、生(せい)というものを超越した世界というのは、すごく僕らが想像もつかないような中に、僕らの生というものがあるんだろうなという気がしています。

けれど、そういうものを表現するのに、生と死も混じり合う世界という、僕ら生きている人には、わかるようでわからない世界かもしれないけど、僕らはなんとなく今を生きてて、(死んだら)地獄があって、天国があってという風に希望として描いています。けれど本当はもっとそうじゃなくて、複雑に未来も過去も本当に混ざり合って、どちらも等価な一緒の世界というのが、ひょっとしたらあった時に、人間の理解を超えた世界があるとすると、その中で現世のこと、今のことしか考えない、まさに SDGs じゃないですけども、本当にそういうことを考える必要があるとしても、つい現実のことしか対処できない人間っというのは、非常に何かずっと愚かなんだろうなとは思います。

でも、そういう愚かな中でも、ほんのちょっと何か想像力を働かせたら、もうちょっと違う僕らの未来というのが作れるかもしれないですよね。 と言うところが、たぶんこの映画を通して、相対的に今の現代を感じると、またちょっと違った風景が見えてくるかもしれませんよね。

Q :今、細田監督が仰られた通り、僕ら自身は人間として死の世界というものを全く理解できていないということは、僕自身も把握できるんですけど、やっぱりそんな「死者の国」を描くコンセプトとして、どういったものに影響を受けて、映像化していったのか、全く実際にはあの世の見識がないのだけに、人々の間で想像の世界でいろいろ繰り広げられている世界なんで、いろいろとイマジネーションが広がるじゃないですか。 そこで、どういったものをこの「死者の国」のコンセプトとして、映像化していったのか教えて頂けますか?

細田守 :この点ですごい面白いのは、やはり宗教が「死後の世界」でも、その魂が帰る場所として、どの宗教も表現してるのだけれど、宗教によって微妙に違う、微妙に違うんだけど、大概なんとなくその辺(死後の世界)を調べていると、結構やっぱり近いものがあると思うんですよ。 全然違うようで、やっぱり大元(物事の根源や始まり、起点、発信源)の人間が持ってる歴史上のイメージっていうのは、仏教もね、要は一神教も多神教も、みんな結局近いところに、何かイメージしていると思うわけです。

例えば、一神教の人が多神教の天国のイメージ見て、これは全然違うという風に思うかというと、まあそんな多くは違わない。 細かいところでは違うかもしれないけど、その逆もそうだろうっていう気はします。

僕らはそんなことを調べるときに、ちょうど日本には地獄絵図があるじゃないですか、 まさに閻魔様がいて、舌を抜いて釜で茹でられたり、火炙になってとか、ああいう地獄絵図はありますよね。 その日本の中世の掛け軸とか何かでね、仏教の教えから来る地獄絵図はあるんですけど、ああ言うものは、どういうイメージで絵が描いたのかと、まさに日本美術、中世美術の研究者に聞いたんですよ。 その人は面白いことを言ってて、 「これは地獄のように見えて、実はこの画家は現世のことを描いてるんですよ」と言うわけ。

つまり、「その現世があまりにもしんどくて辛くて、だからこそ天国へ行きたいという風なことを求めて、 つまりそれは地獄を描いているけども、鬼がいて描かれているようだけれど、実はそれは現世で苦しんでいる、その苦しみを表している」と言っていて、それを聞いた時にすごく目から鱗で、なるほど、つまり僕らは現世があって地獄があるように思うけど、実は現世も地獄にも見えるんだね。 現実に9・11同時多発テロだったり、ウクライナ紛争なりがあったりなんかすると、そこではまさに地獄のような光景ですという風に思うし、僕らはそこにいて地獄にいるような気持ちになるじゃないですか。

確かに現世で地獄を見てるわけですよ。要するに、「死者の国」、「地獄の世界」から天国へ行こうという風な気持ちになる時、そこに描く風景というのは、ちゃんと現世の僕らの気持ちを大切にした風景を描くことが大事なんだと思ったわけです。 これは面白い話でしょ?

果てしなきスカーレット

©Photo by Ayami Kusumi

Q : それは、奥深いですね。地獄絵図を、そういう見方で見たことなかったですね。

細田守 : 見たことないですよね。もっと完全に異世界で、完全に一種のファンタジー世界だと思うじゃないですか?

Q : それは思いますよ。

細田守 : ところが違うんだっていうことを、なるほどと思ったんです。要は現世というのは、要するに現世でもあり、地獄でもあり、ひょっとしたら天国でもあるのかもしれないという風に絵画から紐解いたと思うんです。 だからそういうことを、この映画作りでも大事にしたんですよね。すごく現世のしんどさと、現世の美しさをしっかりそこで描きたいなと思ったんですよね。

Q : 映画内では、そのスカーレットが「もし別の時代に生まれていたら」という発言をするんですけど、例えば戦国時代に生まれていたら、やっぱり戦火にあって、常にスカーレットみたいなマインドセット(心持ち)で生きてるっていうのが、中心になると思うんですよね。そういった中で、その岡田さん演じた現代の看護師というのが、すごく対比として面白い形で描かれてると思ったんですけど、スカーレットと比較した時に、監督の中でどういった意識で現代の看護師を認識して欲しかったのか、このキャラクターを手がけた理由には、どう意図があったのでしょうか?

細田守 :これはやはり、主人公スカーレットと対比になるような人物が良いなと思ったんですよね。 男と女とか、やはり時代では現代と中世だとか、王女とエッセンシャルワーカーとかね、全く対照的というふうな風にしたかったんです。

そういった意味で、例えばこの映画を見る人が、中世というのを現代の看護師の目を通して見ることもできるかもしれないし、その逆で中世の王女様の目を通して、現代とはどういう時代かというのも、相対的に見ることができるんじゃないか。 まあ、僕ら現代で現代を見るのは当たり前ですけども、もっと違う視点から見ると、ひょっとしたら現代というのも、僕らがいつも思ってるような現代と違う風に見えるかもしれない。 でも、そういう風に思うことが、やっぱりすごく意味深いことですよね。

違う時代の人に出会う。 それによって自分自身を省みるということですね。そういう意味では、岡田将生くんというのは、すごいうまく表現してくれて、やっぱりそのスカーレットに寄り添いながら、彼女の問題、彼女がもっと違う自分を望んでるという風なところを引き出したという部分で、そういう説得力のある芝居をしてくれたなと思います。

Q : 細田監督は、2011年にスタジオ地図を設立されて、その後、『未来のミライ』と『竜とそばかす姫』などを手がけられ、すごく海外の映画祭でも評価されているんですけど、今後、スタジオ地図を通して代表の齋藤優一郎さんも含め、どういった展望で展開していきたいと思われているのかと言うことと、今作を通してアメリカや海外にどういった部分を見て欲しいのかを教えてください?

細田守 :もちろんスタジオ地図としてはね、この映画がヒットしなければもう潰れるしかない、 でもいつも常に映画作りってそうなんで、そういう風な格好でいつもやってます。でも今ね、アニメーションというものが、ひと昔前と比べても世界中に広がりを見せて、いろんな人がアニメーションを見るようになった。

そういう中で、もっとさらにアニメーションの可能性に期待してるだろうし、それが今まで通りのの伝統的な2Dアニメーションとか、日本だと作画とか、アメリカだとやはり3Dなどだけじゃない、もっと違うものを表現することが求められてるだろうなと思うんです。

つまりそういった意味で、やっぱり今回の『果てしなきスカーレット』も、やっぱり絵柄がセル画(「セル」とよばれる透明なシート状の画材に、「アニメカラー」と呼ばれる絵具を使用して描かれる)のようでセル画じゃない、 CG のようでCGじゃないみたいな、もっと新しい表現というのを目指してやっていました。 つまり、その手描きのキャラクターが動いているように見えて、やっぱり非常にディティールも細やかになってという、そういう風なことが実現できたんで、こういう表現だと、今までアニメーションで描いてこなかった様々な広い世界のもっと物語を、今まで以上にもっと描けるようになっていくんじゃないか言うような、非常にこう可能性が膨らんでいるんですよね。 もしもこの映画が成功したらの話ですけども、新しくさらにアニメーションの可能性、もしくは映画の可能性について、もっと新しい技法を推し進めて、やっていきたいな、作っていきたいなっていう夢はありますね。

Q : すごく貴重な体験が、貴重な話をありがとうございました。

細田守 :ありがとうございます。本当に、すごく良い質問を沢山して頂いて、ありがとうございます。

果てしなきスカーレット

©Photo by Ayami Kusumi

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